アルコイリスでは、毎回違うテーマについて、それぞれの考えや経験を語り合う場「哲学カフェ」を毎月1度開催しています
哲学カフェとは、90年代にフランスではじまった試みで、カフェや公園など市井の中で
誰もがテーマについて考え、語るための場づくりです
日本でも、さまざまな地域で、さまざまなカタチで取り組まれています
アルコイリスの哲学カフェはというと、
・テーマごとに参加する方が変わること
・常連さんもいらっしゃいますが、毎回新しく参加する方も多いこと
・10代~70代まで、本当に幅広い世代が参加されること
・難しいことを難しい言葉で難しく考える、のではなく、
それぞれに異なった考え・経験があり、その違いを文字どおり"語り合う"ことに重きをおいていること
このあたりが大きな特徴かな、と考えています
さて、今回のテーマは「言葉が知られて33年…なぜセクハラってなくならないの?」
2022年6月は国会議員など公人のセクハラ言動が目立った1か月でした
セクハラという言葉は、1989年にこの言葉を使って初の裁判が行われ、その年の流行語・新語大賞となったそうですが…
それから33年の月日がたった今でも、日々事件や犯罪が散見されます
そしてそれは身の回りでも…
なぜ、なくならないのだろうか? みなで考えて話し合ってみました
※文中のFはファシリテーター、Pは参加者 をさします

ー 身のまわりの"セクハラ"事情、おしえてください
F:今日もよろしくお願いします。今日のテーマは「言葉が知られて33年…なぜ"セクハラ"はなくならないの?」です
どうも、セクハラという言葉は1989年、平成元年にその年の新語・流行語大賞となっているそうですが…
みなさんがこの言葉をいつ知ったのか、もしくはその時の印象ってどんなだったか…そのあたりから聞かせてください
P:私は1989年生まれなので、ちょうどセクハラ元年の年に生まれたことになります(笑)
当時の記憶は残ってないですが小学生くらいのころにはもう耳なじみな言葉だったと思います
P:ぼくはアニメの"クレヨンしんちゃん"で、初めて知った記憶があります。小学生くらいのころでしょうか
P:大学生くらいのころに知ったかと思います。
その時はなにか大人の社会、それこそ仕事や職場で起きている問題として認識したのかなと思います。
でも今思えば、それは学生たち同士の間でも起きるし、学校でも起きる問題だったのかなと思います
P:私はもうそのころ、OLとして働いていたのですが、当時は「男の人は女性に対して"髪型変わったね"、"容姿"について言及してはいけないんだな」って認識した記憶があります
もちろん、セクハラって言葉が一般的になってよかったなって、少しは何かがよくなるのかな?って思った記憶もあります
F:じゃあ、みなさんの身のまわりで、これってセクハラだよなとかセクハラだなって思った経験などはありますか?
もちろん言える範囲でよいのですが…
P:職場の後輩たちと飲み会をしていたときに、その男性の後輩は単身赴任でこちらに来ていたのですが
飲み会のあとどうする?みたいな話になったとき
その男性が「ぼく今、〇〇の風俗サイト見てたんですよ」って言ったことがあって
で、一緒にいた同僚の人が、「そういう話を女性の前でしてはいけないんだよ」って言ってくれたんですが…
そのときなんかどう反応してよいかわからなくて苦笑いというか…してしまって
そのあと、すごいモヤモヤって来たんですよね
改めて考えてみるとやっぱり異常だよな…って思って
友人に相談してみたら「それってセクハラだよね」って言われたとき
あ、こういうのもセクハラにあてはまるんだって思ったことがありました
P:ちょうどセクハラという言葉が広まりはじめたころ、私は企業で働きはじめました
私は中途でその会社に入って仕事をはじめたころだったのですが、
何かのタイミングで上司に呼び出されて、ある部屋に連れていかれると、
そこには上役がいて、何か見世物にされたって経験があります
すごく腹がたって、その気持ちを上司に伝えたのけれど全然理解されなかった
たぶん、こういう"女"が来た、というのを上役に見せるためだったのかと思いますが
P:わりと最近経験したことなのですが
職場の男性の同僚と、ちょっと遅めの時間に職場で二人になってしまったのですが…
二人になったときにいきなり「この前の飲み会で着ていた服、きれいてよく似合ってたよ」と言われて…
なんかすごい居心地が悪い気がして適当にごまかしたのですが。
そのときに、職場で、仕事と関係のない容姿について言及されたとき、あ、これってセクハラだよなって思ったんですよね
これってなにも女性だけに起きる問題ではなくて、
男性社員も「あの人ってイケメンだよね」など女性の上司が言っていることもありますし
その人の容姿と仕事って本来関係ないはずなのに、それが引き合いにだされるのってやっぱりなんかおかしいなって
P:私は職場とかではなくて友人の男性に「お腹がでてきたね」とかよく言ってしまうんですよね
それはどちらかといえばその友人の体調や健康が心配だからなのですが…
これってセクハラなのかなって思ったことがあって、別の友人に相談したところ、相手が不快に思ったのだとしたらセクハラだよねって回答があって…
当の友人に直接聞いたわけではないから本人が不快に思っているかわからないのですが…
同じ発言でも相手によって不快に思う/思わないってあるでしょうから、その線引きがいつでも難しいのだなって思います
P:今の職場で新しい社員を雇うということになって、そのときにぼくが独身であることを上司はよく知っていたのですが
要はぼくに"あてがう"ための女性社員を雇おうとしていたということが後日分かって衝撃を受けたことがあります
そんな思惑で人を雇おうとしていたこと自体に驚きだったし、そもそもぼくは結婚したいとか伝えたわけではないのに
と、そんなことがありました
P:企業で働いていますが、セクハラ防止のためのガイドブックのようなものを四半期に一度、みなで読み合って確認するということをしています
ハラスメントには3類型あって、パワハラ、セクハラ、それからケアハラの3つです
で、セクハラについては職場で性的な言動があり、不快に思う人がいたらそれはすべてセクハラだとされています
こうした読み合わせや確認をもう30年以上やっているのですが、なくなりません!
なぜ、なくならないのかぼくも不思議で…だから今日参加しました

ー セクハラの背後にあるのはなんだろう?? ー善意・よかれ・力の勾配…
P:先ほど、職場で自分の容姿について言及された、という話をしましたが、なぜ不快に思うのだろうって考えたことがあるんです
例えば私に対してその人が恋心とか下心とかを持っているか否かとかはまったく関係なくて、
容姿について言及されたことそのものが不快だったのだなって
私は女性ですが、心のどこかで女性は服装とか容姿をほめておけば喜ぶものだと思われていることも嫌だったのだなと
もう少し言えば、容姿についてけなされるよりかはほめられたほうがよいし褒められたいという気持ちがゼロとは言い切れません
しかし褒められたくはない…という感覚です
ちょっとわかりづらいかもしれませんが。
P:その感覚、すごくよくわかります
みなさんより世代が上なので、私が働いていたころはセクハラが認識されはじめたばかりだったので
逆にいえば横行していたともいえます
そうした時代の中で、女性であることと、仕事をしている自分との間でたぶん葛藤ってあったなって
おっしゃるとおり、女性として容姿が褒められたらうれしいし、その気持ちはゼロじゃない
でも一方で一人の職場のメンバーとして仕事の上でも正当に評価されたい
私の性別になんか関係なく、個人としての力を見てほしい
なにか矛盾をしているような葛藤を抱えて出社していたのを覚えています
私は男性だろうとおかまいなしに自分の考えや意見を伝えるタイプだったのですが、ときたま言い負かせてしまうときってあって
その次の日は必ず、フェミニンな恰好をして出社していたなって
なんの気遣いだったのかは今思うとよくわかりませんが…そういうことがよくありました
P:みなさんの話を聞いていて、セクハラって言葉は認識されてきているし、社会問題にもなっているのになぜなくならないのか、と考えたときに、やっぱりセクハラの言動が、好意とか善意とセットになっているからなのかなって思いました
服が似合ってるねとか、相手としてちょうどいい女性をとか…
悪意をもって悪口をいうとかそういうのとは違いますよね
善意とセットになっているからこそ、なくなりずらいしなくならない
そもそも、本人がセクハラとして認識しずらいのかもしれません
P:善意やよかれと思って…という点で重要なのは、相手の立場に本当にたったときに、本当によかった場合に成立するもので
この"相手の立場に立って…という視点"が欠落しているのではないかなって。
相手を見ていないし、相手の立場に立っていないってことだと思います
そしてこれはなにも職場だけで起きる問題ではなくて、うちは子どもが二人いますが親子関係だってややもすればハラスメントが起きるわけですよね
どんな関係であって、日々気をつけていないといけないよなって思いました
F:そうなると…セクハラにしろパワハラにしろ、なにかその背後に力の勾配のようなものがあるってことになりますか?
たとえば上司と部下、親と子、場合によっては男性と女性…というような。
力の勾配がなければ不快だと思ったときにそう伝えられるのに伝えられない、伝えづらい
だからこそ、ハラスメントをしている側が認識しずらくて社会や職場の中に温存され続けてしまう…のでしょうか?
ー 男性が無意識のうちに、持ってしまう"力"
P:私が働いていた時代はセクハラがバリバリに起きてきた時代でした
そのときは出世するのも男性のほうが早かったし、仕事の内容そのものが違っていました
男性のほうが圧倒的に上位のヒエラルキーができていたように思います
男性が女性を下だと思ってある種、見下して関わってきたなって
だから今回のテーマを見たときに、セクハラってなくなるわけないじゃないって思いました
男性が、男性という力を認識しないまま、その力を行使してしまうからです
P:その男性の力ってとても認識しずらい問題なのじゃないかなって思います
女性って、女性として生きているだけで、何か危険を感じたり、セクハラのようなものに合う可能性って、
ふつうに生きているだけでそこら中にコロコロ転がっているなって
男性の場合で、そういう認識をしながら生きている人ってあんまり少ないのはないかなって
P:私は男性ですが、気づきづらいっていうか、気づかなくても、知らなくても生きていけてしまうのかなって思います
職場でその問題に直面するとか、女性の具体的な経験や言葉から学んだり、教育されたりしてようやく気づける問題です
こうした状況を変えるためには、それに気づいた男性が、今度は男性に言っていかないといけないのかなって
F:ぼくはセクハラをしないようにどうやったら生きていけるか、を日々考えて行動しているなって思うのですが…
おそらく、その前提として幼少期の体験があって。すぐ抱っこしてくる叔母がいたんです
とにかくぼくが目の前を通ると膝の上に乗せたがるというか…
で、その叔母さんに無理やり抱っこされるのがすごく嫌だった記憶があります
5歳児ながらどうその叔母さんの前を回避してリビングに抜けるか…なんて考えてたなって
その経験があるのでぼくは身体のガードが今でも固いほうで…
何が言いたかったのかというと、意図せず触られるのは心底嫌なものだという認識があるので、
ぼくはそれがどんな関係であれ、自分から相手の身体に触れるということを絶対にしないように生きています
先ほど、力の勾配の話がありましたが、自分が意識的にか無意識的にか、力の勾配が生まれてしまうような状況ってあって
上司や部下、大人と子ども、場合によっては男性と女性…年齢が上か下か、などでしょうが
そうしたときに、みなさんが気をつけたり配慮したりってことはありますか??
P:今の話でパッと思いつくのはエレベーターです
女性が一人で乗っているときは乗らないようにしています
なぜかって、ぼくのパートナーがそれってちょっと怖いと思うよ、って伝えてくれたので
あ、そうなんだって、そうだよなってはじめて気づいてからそうしています
P:夜道で、前を女性が一人で歩いているときですかね
これって何が正解かわからないんですけれどいろいろ考えてしまいます
追い抜くのも怖いだろうし、かといって立ち止まって急に足音が消えるのも怖いのかなとか
しかし一定のペースで後ろを歩かれるのも怖いかな?とか…
P:満員電車。必ず両手をあげて乗るようにしています
痴漢の冤罪を防ぐということもありますが、電車が揺れて触れてしまうことを避けるとか
P:私は仕事柄、小さな子どもたちとかかわることが多いのですが
相手が1・2歳児であったとしても、身体に触れなければならないときは必ず理由を伝えてから触れるようにしています
靴脱がせるために足に触るよ、とか転んでしまったので、身体を起こすために背中に触るよとか
理由なく触られた、という経験を子どもたちがしないように、そうしています
相手と親しいから触れ合うという経験と、そうではなく必要があるから触られるという経験とがごっちゃになって、
わけわからなくならないようにってことだと思います
もう1つは、くすぐって笑わせる、ということも絶対にしないように気をつけますね
本来、笑うって、気持ちが楽しいときや喜ぶときに生まれる行動であって
身体の反射として笑うような経験は、気持ちと身体を不一致にさせてしまうので
そんなことを気をつけています
P:女性のみなさんに聞きたいのですが…
男性とかかわっているとき、たとえば意見が食い違ったりしたときがあったとして、
あらゆる手段をつかって自分を言い負かそうとしてきたらどうしようとか…
暴力や身体的な力を使って、自分を従わせようとしてきたらどうしよう…
といったような、潜在的な恐怖心を感じたり、考えたりすることってあるのでしょうか?
男性としては、女性にそうした恐怖心をもたせないようにふるまうためにどうしたらよいのか…
と考えたりするのですが
P:私は、そういう潜在的な男性に対する恐怖心ってベースにずっとあるなって思います
小さいころから父親とか、結婚したあとは夫とかですが、なにかずっと相手の機嫌を気にしてきたなって思います
男性が、女性ってベースとして男性を怖がっているかも…自分はややもすれば怖い思いをさせてしまうかもしれない
といった感覚をもってくれていたら、そうした男性が増えてくれたらとてもいいことだなって思います
P:私もそういう感覚はよくわかります
エレベーターで詰め寄られたりとか、単純に身体の大きな男性が近づいてくるというだけで、
生理的に怖いってどこかで思ってしまうんですよね
今日みたいに、どうやったら女性に恐怖心をもたせずに済むのかなんて話ができていることがとってもびっくり!
私のころと時代が変わったなって思いました
P:私は離婚をするときにちょっとした裁判沙汰になったのですが、男性と女性の弁護士で対応や配慮が全然違っていたことを思い出しました
男性の弁護士のほうは、私の住所や連絡先が相手(元夫)に伝わるかもしれないってことになんの配慮もしてくれなかったのですが、女性の弁護士のほうは、それって怖いことだよねって対応してくれたことがあって
なにか前提としている意識が男性と女性で全然違うのだなって思ったことがありました
ー 嫌なとき、NOといえるノウハウ
P:今まで、男性→女性ということでセクハラの問題が語られてきましたが、逆、つまり女性から男性ってことはありえないのですかね?どうなんでしょうか?
P:個人的な経験ですが、私の自宅に業者さんに棚を設置してもらうというときに、下見に来る業者さんは一人で、当日設置してくれるときは二人で来たんですよね
そのとき、若い男性の業者さんだったのですが、私、警戒されたのかなって
何をしたつもりも記憶もないのですが、もしかしたらって思ったことがありました
P:女性の上司がセクハラをしないかというとやっぱり生じていますね
ぼくの会社で起きた問題ですが、執拗に若い男性社員を食事や飲み会に誘う女性の上司がいて、
本人に話をきくと、かわいがっているから声をかけた、と言っていて、
やっぱり男性→女性のセクハラの構造とまったく一緒だなって思いました
ただ、被害にあったのが男性という点で、顕在化しずらいというのはあるかもしれません
弱音を吐けないとか、言いずらいとか、ですかね
P:男性の性被害で容易に想像がつくのは、たとえば女性から触られたということがあったとき、
それが嫌だったとしても、周りからよかったじゃん、ラッキーだね、とかいうセカンドレイプのような言葉に
さらされてしまう可能性が高いということもあるかなって
F:どんどん話が深刻な方向に向かっていきますね
でも、現実に起きている問題について語るわけだから深刻なのは当然ですかね
今日、参加者がいつもよりも少ない理由がわかったような気がします
なぜ起きるのか、なぜなくならないのか…について大方話ができたかなと思うのですが…
うーん、セクハラがなくなるために私たちがどう行動していけばよいのか?という点はどうなんでしょうか?
P: 自分の身体が無意識的にもつ力に配慮し、なるべく勾配をなくせていけたらセクハラはなくなっていくと思うのですが
これまでの話を聞いていて、男性自身が被害とまでは言わないですけれど、
意図せず触られたりといった、嫌な経験をして、考えなおすような機会があれば別ですが
そうした経験がない場合、どう気づけるのかなって
P:うーん、難しいですね。
自分もそうですが、たとえば自分のパートナーや子どもが同じような体験をしたら嫌だなって
想像を働かせるってことなのかなって思います
もちろん、パートナーからこういう経験って怖いよって、それってセクハラに近いよっていう指摘に触れられることも大切なことだなって
P:そうした指摘ってとても大切ですよね
セクハラの問題で思ったのは、とくに嫌な思いをしたほうが、笑ってごまかしたりとか、それこそ空気を読んだりとか
嫌なことは嫌だと上司だろうと部下だろうと同僚だろうと言うときに、
どういう言葉や態度をもって伝えたらよいのか、というノウハウのようなものが形成されてこなかった、というのが今につながっているのかなと
私の具体的な経験として、自分の容姿について善意で言及されたということがありましたが、
なんという言葉で返したらよいのか…はやはり今でも悩んでしまいます
P:そうですね。自分が嫌な思いをしたときに、職場の空気を読んだり、相手の顔色を窺ったりせずに
NOというロールモデルが大人も子どももないのかもしれません
F:そうなると、嫌なことをされたときに、どういう言葉や態度をもって返したら
相手に反省を強いつつ、二度と同じ問題が起きない言動ってどう可能なのでしょう?
P:難しいですよね。なんかパワーをつかって反抗しても疲れそうだし、
なんとなくお茶を濁しておけばよいか、とか思っちゃう
P:見た目について、指摘されてもうれしくないです、うざいです、とかは?
P:そうしたケンカになるような言葉しか思いつかなくて…
でも、思いつかないってことは、嫌なことを嫌ですと伝えられる言葉を学んでこなかったし考えてこれなかったことなのかな
そういう言葉を練習することが必要なのかもしれません
P:笑ってへらへらした対応をするのは違うなと思います
が、怒って波風荒立てるのも、なにか違うようにも思います
P:ちょっと話の向きをかえて、周りの人がセクハラをしているのを見たときってどうしますか?
P:それってセクハラですよ、って面と向かって伝えるしかないのかなって
しかも、現行犯で言わないとダメですよね
なんか面子をつぶすからあとで言ったほうがよいなんて意見もあるそうですが…
P:やってるほうも自覚していない場合も多いので、その場でいうのがやはりベター
それから男性が男性に言ったほうが効きそうだし、実際効きますね
P:え!? なんかそれはそれで、モヤっとしますよね
男性から言われないと効かないってことは、男性優位の関係が温存されるってことですよね
P:そうなるとやっぱり本人が伝えないと次につながっていかないですね。
女性にセクハラまがいの言動をすると、しっぺ返しをくらうというか、チクっと刺されるぞって
相手の男性たちが少しずつ学んでもらうことって大切かなって
P:もう1つ思うのは、私もぼちぼち年下の男性が職場に入ってくる年齢段階になってきたのと…
これから女性の上司がどんどん増えていく中で、年齢や職層の上下が生まれたとき、男性の上司からのセクハラはずっと問題として顕在化してきたけれど、女性の上司によるセクハラはたぶんこれから直面していく問題だと思うので
私がこれから年下の男性と関わっていくときに何に気をつけていったらよいのかなってノウハウや知識をつけていきたいなって思います
P:うちの職場で今現実に起きている問題は、先ほどの年下男性を執拗に食事や飲み会に誘うといったケースと
もう一つは「あなた、男でしょ」っていうことを言ってしまう女性上司が問題になりました
男なんだから、文句を言わずとにかく働きなさいっていうメッセージです
相手の性別について言及するわけですから、これはセクハラでもあり、しかもモラハラ・パワハラでもある合わせ技に近い問題が起きてきています
P:力の勾配が背景にある人間関係の場合って、それが女性だろうと男性であろうと、いつでもハラスメントは起きうる問題だってことですよね
F:はい、そろそろ時間がせまってきたのですが、何か感想でも、言いそびれたことでもあれば!
P:今回参加してすごいよかったなって思ったのと、こうした場がもっといろんなところであったらいいなと率直に思いました
なにより、男性が悪いとか女性がどうとか、片方の性に偏るわけではなくて、男性も女性も一緒になって、フラットに語れる時間って大切なんだなって思います
F:そうですね。ジェンダーや性に関するテーマはこれまでも何度もやってきましたが、なんとなく人数が減る傾向があります
それから片方の性にひどく偏る傾向も
でも、重要かつ深刻な問題を、こうしてみなで語り合えることはとても有意義だなとしみじみ思いますね
今日はどうもありがとうございました
ー 対話を終えて (ふりかえり)
これまで50数回哲学カフェを開催してきましたが、実は参加者が過去で一番少ない回でした
スタッフ・対面・オンライン合わせて10名、性別も男女半々くらい、世代は20代~60代くらいまで
セクハラの問題について正面きって対話するということのハードルの高さを参加人数から考えさせられてしまいます
今回の話は、男性である私にとってはとても興味深いものでした
各自の職場などで起きているセクハラの実際も、その背後にある力関係の問題も、
なにより、潜在的に男性に対して恐れを感じてしまうことがあるという女性たちの語りや、
男性がもってしまう無意識の力、といった言葉は非常に考えさせられるものです
もちろんそれは個人の問題に帰結できるものではないし、男性が悪いと結論づけられるものでもありません
会の中でも話にあがりましたが、
男性の暴力はマンガやアニメ、ヒーローものの特撮などでも肯定されてしまうし、
親戚たちと集まるようなときには、少なくとも私が生まれた地域では女性は料理を用意しつづけ、
男性はゆっくり座って酒と食事を楽しむ、なんて風景が日常的なものでした
こうした文化的・社会的な状況の中で無批判に生きてしまったとしたら、
男性は女性より優位とか偉いといった価値観が知らぬうちに意識の中に刷り込まれてしまうかもしれません
このような、生まれた性別によって違ったメッセージが届いてしまう社会の構造そのものが
無意識に備わってしまう力を助長させてしまうし、
セクハラをはじめハラスメントや加害につながってしまうのだなと改めて感じます
そして、そうした状況に気がつき、目を向けられるためには、
今回のように男女の区別なく、文字通りお互いの経験を語り合うことによって可能になることなのだろうと思います
私にとっては大変学び多き集まりとなりました
ご参加くださったみなさま、貴重な経験を話してくださったみなさま、どうもありがとうございました
※この記録は、当日のメモを頼りに記憶をたどりながら書いています
実際に話された内容と大きく異なってはいないものの
微細な表現や言い回し、また語りのすべてを表現できたわけではありません
おそらく交わされた言葉は文章に表現できた数倍の量だと思います
あしからず
文責:川上(アルコイリス)

記録・ファシリテーター
◆川上和宏◆
1984年、群馬県生まれ / 大人の秘密基地arcoiris 共同店主
杉並区社会教育センターにて社会教育・生涯学習の企画運営に携わったあと、
2013年にアルコイリスを起業・運営
千葉大学大学院教育学研究科卒、東京学芸大学博士課程満期取得退学
大人向けの哲学対話の場、哲学カフェ@アルコイリス・主宰
その他、この世界について他者と対等に語り合うための場づくりをお店にて実践中